「コロナ新時代への提言?変容する人間・社会・倫理」NHKBS1スペシャル

この番組の中で、哲学者・國分功一郎さんが言っておられた言葉を紹介したいと思います。
他者が脅威になる今までにない事態が突如発生した。武漢の人口は1000万人で東京と同じ規模。そこで完全な都市封鎖を人類史上初めて行った。
疫学的な見方は、人を駒としか見ない。数字上の議論に終始している。感染者数、死亡者数。そこには人の顔が見えない。
アガンベン(哲学者・イタリア)の言う「死者の権利」の蹂躙、「移動の自由」の制限
アガンベンは今回のイタリア政府の措置に対しこの提言を行い、いわゆる炎上しました。
しかし國分氏は言います。哲学は問いを立てることから始まる。
人類が守ってきたものは現在だけではない。生存以外のいかなる価値も認めない社会が来ることを危惧する。現在や生のみにしがみつく社会になってしまってもいいのだろうか。
東独出身でベルリンの壁崩壊を経験したメルケルが、移動制限を発表する演説の際に言及した思い。「移動制限とは刑罰そのものである。その尊い権利を一時放棄してでも守らなければいけない命がある。」
今起こっていること、終息したとしても、起こったという事実を、なんとなく受け入れるのではなく、問い続けることが重要だ。

引用:NHKBS1スペシャルからの記事

─ YODOQの見方───────────────────────────

僕は哲学者ではないので偉そうなことは言えませんが、これを聞いた時、まったくだと納得しました。なのでヨドックの見方は「その通り」です。
アガンベンが言った「死者の権利」の蹂躙、「移動の自由」の制限は、誰しもが、少なからず疑問や不快感を持ったことだと思います。
ニュース映像で流れたイタリアの棺桶の行列、死に際に会うことができない、亡くなっても葬儀にすら出られなかったという制約。日本でもそうだったと知ったのは、岡江久美子さんの遺骨の帰宅の映像でした。
また、日本では自粛という名の移動の制限ですが、各国では法的な命令というかたちでロックダウンが行われていました。
これらを目にして、わだかまりを持ちながら、緊急事態なのだから仕方がない、あるいはそれが正義だと思い込んでいた感があります。
しかし記事のような明示をされると、改めて問いとして浮かび上がります。
今回、世界が判断し実行したことを、なんとなく認めてしまうのではなく、問いとして留めておくことが、今後の社会を作り上げていく上で大事なことではないでしょうか。