松山英樹がマスターズ優勝 日本人初のメジャー制覇

松山英樹が日本人として初のメジャー制覇を遂げた。4打差の首位で出た「マスターズ」最終日を4バーディ、5ボギーの「73」でプレーし、通算10アンダーとして 1打差で逃げ切った。
2011年に初出場でローアマチュアを獲得してから、10回目の挑戦で悲願のグリーンジャケットを手にした。アジア勢のメジャー優勝は2009年「全米プロ選手権」のY.E.ヤン(韓国)以来2人目で、マスターズでの達成は初めて。
マスターズの日本勢の最高位はこれまで、2009年の片山晋呉の4位だった。
松山英樹は、日本ツアーで8勝、PGAツアーでは6勝しており、世界ランキングは過去2回トップ10入りしており、今年はマスターズ優勝で14位になった。
メジャータイトルとは、男子ゴルフの場合、マスターズ、全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権のことを指し、この4つの大会を制覇することをグランドスラムと呼びます。いずれの大会も世界最高峰のゴルフトーナメントで、出場の夢を持つプロゴルファーは後を絶ちません。

引用:ゴルフダイジェスト 2021/04/12

─ YODOQの見方───────────────────────────

長い間、プロのメジャーな競技、特に個人競技で日本人が優勝するのは無理というような感覚がありました。
何故、日本人が勝てないのかというあきらめには次のような思いがあります。
歴史あるプロスポーツで成功するためには文化的な成熟が必要だと思っています。というのは、競技人口、その裾野、指導者、積み重ねてきた指導方法、そしてそれらを続けてきた歴史が必要だと思うからです。
また、競技者がそのスポーツ界に溶けこんでいけなくては、対等に戦ってはいけません。
今回の優勝を見て、ようやく日本人も対等に戦っていけるのだ、日本もそこまで成り上がったんだという思いがしました。
そこで、どうやって日本が成り上がってきたかについて、自分の記憶の中から話したいと思います。
1970年代、1980年代に海外で活躍した日本人スポーツ選手はほとんどいませんでした。
高度経済成長期、パブル期と日本は経済が優先され、まずは生産力、経済力を上げ、世界と対等になることを目指していました。スポーツや文化に気を配る余裕もなかったのではないでしょうか。
このような考えが変わったのがバブル崩壊以降、1990年代後半からです。
日本経済は「失われた20年」と呼ばれるように長期にわたり低迷することになりました。もはや物作りの中心はアジアの他の国に移り、2009年に中国にGDPを抜かれました。国内の株価、地価も下落に転じました。もう経済力だけに頼っていられる国ではなくなったのです。
この状況の変化が価値観の変革をもたらしたといわれています。
すなわち、経済優先主義の呪縛から解き放たれ、多様性が認められたことにより、様々な方向へエネルギーを向けざるを得なくなったのです。そして、世界にとっても、エコノミックアニマルから、ようやく隣人になれたのではないかと思っています。
この頃から、海外で活躍する日本人スポーツ選手が増えてきました。
サッカーの中田英寿、中村俊輔、野球のイチロー、そして大谷、テニスでは錦織圭、大坂なおみ、モータースポーツの佐藤琢磨、ゴルフでは、松山英樹、宮里藍、渋野日向子。
今回の松山の一勝は、こんな過程を経て、ようやくスポーツという文化が日本において成熟してきた結果なのではないでしょうか。