「SWITCHインタビュー 達人達」 高橋一生×中村拓志 から

「SWITCHインタビュー 達人達」という番組は、異なる分野で活躍する2人が対談するという企画です。私が見たのは、高橋一生×中村拓志(建築家)の放送回でした。
その中から中村拓志さんの言葉を紹介したいと思います。
番組の内容は次のようなものです。
「ドラマ・映画・舞台など幅広い場で存在感を放つ俳優・高橋一生が登場。対するは地域の自然や文化に寄り添う設計で注目される建築家・中村拓志。自我と表現について語り合う。
高橋が訪れたのは埼玉県内の霊園。中村が設計した礼拝堂と休憩棟がある。建築に関心のある高橋は建物を見ながら、中村の「ふるまい」を大切にする設計について聞いていく。」

中村拓志とはどのような方かと言いますと、
中村 拓志(なかむら ひろし)
1974年(昭和49年)生まれ。建築家。HPには集合住宅、商業施設、霊園、礼拝堂などが多く紹介されています。
受賞歴も多く、中でもJCD(日本商環境設計家協会)大賞を三度受賞したのは、過去に例がありません。
その建築のコンセプトとは。
「主役はあくまでも建物が建つ場所や使う人で、建築家は脇役。主役との関係性のデザインを追究し、最適解を出すことが我々の職務である。」というものです。

─ YODOQの見方───────────────────────────

この対談の中から私の心に残った中村 拓志さんの言葉を紹介させていただきます。
1、「ふるまい」から感情が生まれる。
この方は、建築をデザインするうえで「ふるまい」という言葉を大事にされています。
「例えば相手にお辞儀をされると、思わずこちらも頭を下げる。同じふるまいをすると互いの間に了解が生まれ、それが積み重なると共同体の感覚が生まれます。建築は、ふるまいを集積して人々の心をつなぐのは得意なんです。」
「ふるまい」を起こさせる建築として次のような例が紹介されました。
礼拝堂の設計で、祭壇に向かってかすかな傾斜をつけることにより、自然にそちらに歩を向ける、降りていくという構造になっている。
これを聞いて私が思ったのは、なにより、漠然と理想している観念的なことを、実際の仕事において表現しておられるということでした。そして、「ふるまい」から何らかの感情が芽生えるような空間、場所というものを意識するようになりました。例えば自然の中、見晴らしのいい展望台、このような場所では、なにか共通の感情のようなものが湧いてきます。また、素直に、我が振り直せというわけで「ふるまい」に気を付けよう、とも思いました。

2、「最近の人々はガラスばっかり触っている。ザラっとしたものとか、ぬめっとしたものとかそういう感触を味わうべきだ」
もちろん、これはスマホのことなのですが、ドキッとさせられました。
私たちは五感のうちの触感というものを失くしつつあるのではないか?
もう少し深く考えると、五感にかかわらず感覚というものが希薄になっているのではないでしょうか。
スマホに限定せずとも、世の中が便利になればなるほど、人工的になればなるほど不快な感覚、不便な感覚、異質な感覚から遠ざかっています。例えば、
触覚 ザラっとしたもの、ぬめっとしたもの
嗅覚 くさい臭い
視覚 真っ暗闇
聴覚 小さな音、虫の声等
それは、さみしいことであり、大げさかもしれませんが、人類大丈夫かと思ってしまいました。
急速に進むデジタル化、特にコロナ禍において距離をとるという必要から、「感覚」というものはますます薄れていっているような気がします。一方でSNSの拡散により、上っ面の「ふるまい」というものが横行してしまいがちです。これに抗うことは難しいことですが、少なくとも意識はしていこうと思います。
また、他人はいい事を言ってくれま。自分では気が付かないことを言葉にしてくれます。つくづく、人の言うことに耳を貸さねば、と思いました。

引用:SWITCHインタビュー 達人達 高橋一生×中村拓志
中村拓志&NAP建築事務所
wikipedia 中村拓志
Architect’s magagine