ザッカーバーグ「完璧すぎる謝罪」の舞台裏

フェイスブックのユーザーデータ流用・流出問題について、マーク・ザッカーバーグ最高経営責任者(CEO)が4月10日と11日、2日間にわたって米議会の公聴会で証言台に上った。数千万人分のデータ流出というフェイスブックにとって最大の不祥事を受けて開かれた公聴会は、延べ10時間、100人から600の質問を受けるというまさに「千本ノック」状態。この難局をザッカーバーグ氏は、究極の「謝罪力」で乗り切った。

引用:https://toyokeizai.net/articles/-/216909

─ YODOQの見方───────────────────────────
謝って物事を解決するという方法は決して「王道」「スタンダード」ではありません。やるべきことを粛々と進めていき、事故の発生の原因を作らなければ、このようなことは起こらないわけです。しかしながら、私の経験では、公私共に「謝る」というシーンは数多くありましたし、またこれからも起きるだろと思います。

これまで際限なくあった「謝る」というシーンでは、もちろん記事のような対応ができたわけではなく、むしろ「謝り倒す」ということで乗り切ってきました。
しかし、数少ない成功例もありました。それは、記事にもあったように「どうしてこうなったか」「どうやってリカバリーするか」「いつまでにするか」「どうやって検証するか」を事前にまとめることができ、相手に即答するのではなく、時間を空けることができ、謝るというフェーズ(シーン)から、今後の進め方への切り替えをイメージできたときでした。

今回の内容は「危機管理能力」「危機対応能力」に他なりません。しかし、たとえばセミナーで「危機管理能力をつける」となると二の足を踏んでしまいますが、「どうやって謝るか」に置き換えると興味もわくというものです

また、失敗転じてなんとやらではないのですが、トラブル案件もトラブルを乗り越えることで、よりよい関係が築けるということはよくあります。この記事から謝るという「技術」にもう一度目を向けてはいかがでしょうか。
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