中国大連開発拠点視察(市内探索編)
大連という街は良くも悪くも日本と関わりの深い街です。 大連と日本との関係は日清戦争の時代にさかのぼる。それまでの歴史上中国の属国であった朝鮮をめぐる戦いであったが、その当時の日本の状況としては、清(中国)、ロシアなどの大国などの侵略に対抗する為に防衛線として朝鮮を独立国として中国から分離させる必要があった。 この日清戦争に勝利した日本は中国から遼東半島・台湾・澎湖列島(台湾海峡の島々)を譲り受けるがロシア、フランス、ドイツの圧力(三国干渉)により遼東半島を変換せざるおえませんでした。しかしそこにロシアが租借すると言う形で遼東半島を占領してしまいました。 こうなると次は朝鮮半島、本土へとロシアの脅威が目の前に近づいてきた。このことに危機を感じて日露戦争へと発展。日本は勝って遼東半島を支配下におくとともに傀儡国家である満州国建国へと向かうのであるが、その戦いの場となったのが旅順であり、大連を拠点として北進していったわけです。 というような歴史から、大連の市内にはそのころにロシアや日本が作った建物が点在しています。