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  • 相手の組織につぶされるような仕事はしたくない。
    大きな組織に影響されない仕事。この解答はそれほど難しくはなかった。
    ようは相手の土俵で相撲をとらないことである。
    その時の私は怖い物しらずで、大きい物に挑むことに美的感覚を抱いていた。
    正論をぶつけていれば、かならずわかってくれる時が来る。そう信じていたように思う。
    しかし現実はそんなには甘くは無かった。これまでこの方法でうまくいっていたのは、
    人に恵まれたのだということを肌で感じさせられました。

    具体的にはそれではどうすれば良いのか?
    ようするに、主導権を握れるプロジェクトにかかわる。もしくは主導権を握れる可能性
    のあるプロジェクトを担当する。
    たまたまそのことを考えていた自分に、転機となるプロジェクトがめぐってきました。
    これは、後で聞いたことですが、私が担当したプロジェクトは、危険すぎて誰も手を
    だそうとせず、困っていた案件だったそうです。
    しかし私にとっては自分の実力を最大限に出せ、
    皆が無理と考える案件=失敗してもとがめられないお宝案件
    でありました。
    逆にこれを成功させ、会社の開発力を売ってやろうと考えました。

    このプロジェクトにて、ここ数年実現してきたビジネスモデルが完成しました。
    Java技術者の教育→Java言語に特化
    Java言語に特化→Java案件の収集
    既存顧客→常駐プロジェクトの特定会社の拡大
    新規顧客→炎上案件の担当→火消し作業→信頼の獲得
    新規顧客・既存顧客→新規案件の拡大

    誰が見ても難しい案件、出来なさそうな案件。これらを片付けていくことこそ
    お客様に満足を与える仕事=自分たちにしか出来ない仕事=我々の役割
    と考えました。

    -つづく-

  • 9月5日、青山繁晴さんの講演を聴きました。
    青山繁晴さんを知っているでしょうか。関西では結構有名な評論家?作家?です。
    単なる関西ローカルな人でなく、持っている歴史感により、東京のテレビに露出できない
    という比較的稀有な人種の方です。

    くわしくはウィキペディアにて。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E7%B9%81%E6%99%B4

    私はこれまで色々な人の講演をききましたが、ここまで心を動かされた講演を聴いた
    のは初めてでした。

    特に、専門分野は政治、外交政策・国際関係論、安全保障であり、講演では、
    私の知らない第2次世界大戦に対する歴史認識を語っていただけました。

    特に力を入れられていた内容として「硫黄島の戦い」についてでした。

    「硫黄島」これをなんと呼ぶかご存知でしょうか?
    「いおうじま」ではありません。「いおうとう」と呼びます。
    クリント・イーストウッドが監督をした「硫黄島からの手紙(いおうじまからのてがみ)」
    は実は間違っているのです。

    硫黄島は日本固有の領土です。それにもかかわらず、一般人の立ち入りが許さ
    れていない島です。

    1945年2月16日 – 1945年3月26日、太平洋戦争末期に小笠原諸島の硫黄島
    において日本軍とアメリカ軍との間に生じた戦闘がありました。
    この戦いについては、「硫黄島からの手紙」に描かれているように非常に激しい
    戦いだったようです。2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死したよう
    です。
    なぜここまで戦ったのかというと、当時、米軍は日本本土を攻撃を狙っていたが、
    サイパン、グアムからでは日本本土まで、2500kmあり、十分な爆弾を積むこと
    ができなかったその為、ちょうどその中間にある硫黄島を拠点として、本土を攻撃
    したかった。
    それを知った日本軍は、本土攻撃を死守する為、栗林忠道中将を硫黄島に送り込み
    最後の1兵まで自害せず戦うように指示した。
    硫黄島で戦った日本兵は本土にいる家族を守る為、1日でも本土への攻撃を遅ら
    すために戦ったといわれています。
    この様子を「硫黄島からの手紙」では描かれています。

    敗戦後、米軍はいおうとうをいおうじまと呼び間違えたことで、つい最近まで国土
    地理院の情報としても「いおうじま」とされていました。
    これを安部内閣の際に、変更するように働きかけたのがこの青山さんだったよう
    です。また、民間人でありながら唯一硫黄島に単身上陸することができたのも
    青山さんだったようです。

    硫黄島では米軍が作った滑走路がいまも残っています。その滑走路の下には
    数え切れないくらいの戦死者の遺骨が眠っているそうです。
    その戦死者を救い、ともらいたいと言う思いから講演では特に力を入れて訴えて
    いるようです。

    そのほかにも、自分の知識が浅いことを色々感じさせられた。
    例えば、北方領土といえば、歯舞、色丹、択捉、国後と思われがちであるが、
    正確には、樺太の南半分、カムチャッカ半島から南の千島列島すべてがもともと
    日本固有の領土であったことは意外としられていない。
    それにもかかわらず、国も国民も北方4島以外の認識は薄い。

    話を聞いていると日本の政策のおろかさを理解することができた。
    日本人はもっと歴史認識を深め、国を守るという本当の意味を自覚すべきだと
    感じさせられる講演でした。

  • 5年ほど前、システム開発のプロジェクトリーダをしていてふと感じました。
    今システムを開発して、自分で言うのもおかしいが活躍している。
    正確かどうかはわからないが、会社に3000万円くらいの利益はもたらしたと聞いている。
    でも・・・。実際だれがこの頑張りを喜んでくれるのだろう。
    当時、基本的に担当するのは大規模開発で、エンドユーザの声が聞ける立場にない私は、
    常に疑問を持っていました。
    ITスキルを磨くことは当然だとは考えていたのですが、その先にあるものがどうもはっきり
    せず、いつも考えていたように思います。

    その時にこう思いました。お客様を獲得する営業から受注、要望聞き取りから設計、製造、
    完成、リリース、保守までの作業を全部行うことが自分にはできるのか?

    ということでした。そのことを考え出し、まず1歩目で疑問が発生しました。
    ・どのように仕事を取っていくのか。
    ・お客様の業務についてどのくらいわかっているのか。
    ・・・
    結局自分は歯車としてしか力を発揮できない現実がありました。
    その時に興味を持ったのがコンサルタントでした。
    私のイメージでは、会社の実情を分析し、改善案を提案し、会社を良い方向へ持っていく。
    人の何倍もの知識を持っているからこそそのようなことが出来るのだとイメージしていました。

    その時私はまずは中小企業診断士に興味を持ち始め、TACに通いはじめました。
    おもしろい。
    多少は色々な分野をかじってはいたものの、体系だてて学ぶと、わからないことだらけ。
    同時に、
    どう考えても教えられることは入門編で、実務では使えそうに無い。(より深い知識、経験が必要)
    ことも痛感しました。

    当時現場に入っていて、組織の狭間で組織的な力につぶされようとしていた自分にとって
    大きな危機感を覚えたことを思い出します。

    -つづく-

  • 本日は、九重親方(元千代の富士)の講演を聞きました。
    イメージと違い、ジョークをよく言うし、よくしゃべる人でした。

    私の知る範囲ではここまでの匠の域に達したスポーツ選手は、
    イチローと千代の富士
    だけではないのかと思う。

    勝ち続ける、記録を出し続けるというのはどういうマインドを作り出すのだろうか。
    最後に大相撲クイズをしていましたが、
    「道」や「洗心」などと書かれた色紙が商品として配られていました。
    ある分野を極めた方の言葉と感じます。

   

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