プロフィール

携帯版はコチラ

カレンダー

2025年10月
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
262728293031  

固定ページ

  • 相手の組織につぶされるような仕事はしたくない。
    大きな組織に影響されない仕事。この解答はそれほど難しくはなかった。
    ようは相手の土俵で相撲をとらないことである。
    その時の私は怖い物しらずで、大きい物に挑むことに美的感覚を抱いていた。
    正論をぶつけていれば、かならずわかってくれる時が来る。そう信じていたように思う。
    しかし現実はそんなには甘くは無かった。これまでこの方法でうまくいっていたのは、
    人に恵まれたのだということを肌で感じさせられました。

    具体的にはそれではどうすれば良いのか?
    ようするに、主導権を握れるプロジェクトにかかわる。もしくは主導権を握れる可能性
    のあるプロジェクトを担当する。
    たまたまそのことを考えていた自分に、転機となるプロジェクトがめぐってきました。
    これは、後で聞いたことですが、私が担当したプロジェクトは、危険すぎて誰も手を
    だそうとせず、困っていた案件だったそうです。
    しかし私にとっては自分の実力を最大限に出せ、
    皆が無理と考える案件=失敗してもとがめられないお宝案件
    でありました。
    逆にこれを成功させ、会社の開発力を売ってやろうと考えました。

    このプロジェクトにて、ここ数年実現してきたビジネスモデルが完成しました。
    Java技術者の教育→Java言語に特化
    Java言語に特化→Java案件の収集
    既存顧客→常駐プロジェクトの特定会社の拡大
    新規顧客→炎上案件の担当→火消し作業→信頼の獲得
    新規顧客・既存顧客→新規案件の拡大

    誰が見ても難しい案件、出来なさそうな案件。これらを片付けていくことこそ
    お客様に満足を与える仕事=自分たちにしか出来ない仕事=我々の役割
    と考えました。

    -つづく-

  • 9月5日、青山繁晴さんの講演を聴きました。
    青山繁晴さんを知っているでしょうか。関西では結構有名な評論家?作家?です。
    単なる関西ローカルな人でなく、持っている歴史感により、東京のテレビに露出できない
    という比較的稀有な人種の方です。

    くわしくはウィキペディアにて。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E5%B1%B1%E7%B9%81%E6%99%B4

    私はこれまで色々な人の講演をききましたが、ここまで心を動かされた講演を聴いた
    のは初めてでした。

    特に、専門分野は政治、外交政策・国際関係論、安全保障であり、講演では、
    私の知らない第2次世界大戦に対する歴史認識を語っていただけました。

    特に力を入れられていた内容として「硫黄島の戦い」についてでした。

    「硫黄島」これをなんと呼ぶかご存知でしょうか?
    「いおうじま」ではありません。「いおうとう」と呼びます。
    クリント・イーストウッドが監督をした「硫黄島からの手紙(いおうじまからのてがみ)」
    は実は間違っているのです。

    硫黄島は日本固有の領土です。それにもかかわらず、一般人の立ち入りが許さ
    れていない島です。

    1945年2月16日 – 1945年3月26日、太平洋戦争末期に小笠原諸島の硫黄島
    において日本軍とアメリカ軍との間に生じた戦闘がありました。
    この戦いについては、「硫黄島からの手紙」に描かれているように非常に激しい
    戦いだったようです。2万933名の守備兵力のうち2万129名までが戦死したよう
    です。
    なぜここまで戦ったのかというと、当時、米軍は日本本土を攻撃を狙っていたが、
    サイパン、グアムからでは日本本土まで、2500kmあり、十分な爆弾を積むこと
    ができなかったその為、ちょうどその中間にある硫黄島を拠点として、本土を攻撃
    したかった。
    それを知った日本軍は、本土攻撃を死守する為、栗林忠道中将を硫黄島に送り込み
    最後の1兵まで自害せず戦うように指示した。
    硫黄島で戦った日本兵は本土にいる家族を守る為、1日でも本土への攻撃を遅ら
    すために戦ったといわれています。
    この様子を「硫黄島からの手紙」では描かれています。

    敗戦後、米軍はいおうとうをいおうじまと呼び間違えたことで、つい最近まで国土
    地理院の情報としても「いおうじま」とされていました。
    これを安部内閣の際に、変更するように働きかけたのがこの青山さんだったよう
    です。また、民間人でありながら唯一硫黄島に単身上陸することができたのも
    青山さんだったようです。

    硫黄島では米軍が作った滑走路がいまも残っています。その滑走路の下には
    数え切れないくらいの戦死者の遺骨が眠っているそうです。
    その戦死者を救い、ともらいたいと言う思いから講演では特に力を入れて訴えて
    いるようです。

    そのほかにも、自分の知識が浅いことを色々感じさせられた。
    例えば、北方領土といえば、歯舞、色丹、択捉、国後と思われがちであるが、
    正確には、樺太の南半分、カムチャッカ半島から南の千島列島すべてがもともと
    日本固有の領土であったことは意外としられていない。
    それにもかかわらず、国も国民も北方4島以外の認識は薄い。

    話を聞いていると日本の政策のおろかさを理解することができた。
    日本人はもっと歴史認識を深め、国を守るという本当の意味を自覚すべきだと
    感じさせられる講演でした。

  • 5年ほど前、システム開発のプロジェクトリーダをしていてふと感じました。
    今システムを開発して、自分で言うのもおかしいが活躍している。
    正確かどうかはわからないが、会社に3000万円くらいの利益はもたらしたと聞いている。
    でも・・・。実際だれがこの頑張りを喜んでくれるのだろう。
    当時、基本的に担当するのは大規模開発で、エンドユーザの声が聞ける立場にない私は、
    常に疑問を持っていました。
    ITスキルを磨くことは当然だとは考えていたのですが、その先にあるものがどうもはっきり
    せず、いつも考えていたように思います。

    その時にこう思いました。お客様を獲得する営業から受注、要望聞き取りから設計、製造、
    完成、リリース、保守までの作業を全部行うことが自分にはできるのか?

    ということでした。そのことを考え出し、まず1歩目で疑問が発生しました。
    ・どのように仕事を取っていくのか。
    ・お客様の業務についてどのくらいわかっているのか。
    ・・・
    結局自分は歯車としてしか力を発揮できない現実がありました。
    その時に興味を持ったのがコンサルタントでした。
    私のイメージでは、会社の実情を分析し、改善案を提案し、会社を良い方向へ持っていく。
    人の何倍もの知識を持っているからこそそのようなことが出来るのだとイメージしていました。

    その時私はまずは中小企業診断士に興味を持ち始め、TACに通いはじめました。
    おもしろい。
    多少は色々な分野をかじってはいたものの、体系だてて学ぶと、わからないことだらけ。
    同時に、
    どう考えても教えられることは入門編で、実務では使えそうに無い。(より深い知識、経験が必要)
    ことも痛感しました。

    当時現場に入っていて、組織の狭間で組織的な力につぶされようとしていた自分にとって
    大きな危機感を覚えたことを思い出します。

    -つづく-

  • 本日は、九重親方(元千代の富士)の講演を聞きました。
    イメージと違い、ジョークをよく言うし、よくしゃべる人でした。

    私の知る範囲ではここまでの匠の域に達したスポーツ選手は、
    イチローと千代の富士
    だけではないのかと思う。

    勝ち続ける、記録を出し続けるというのはどういうマインドを作り出すのだろうか。
    最後に大相撲クイズをしていましたが、
    「道」や「洗心」などと書かれた色紙が商品として配られていました。
    ある分野を極めた方の言葉と感じます。

  • 政権が交代しました。
    とりあえず、歴史が動き出しました。
    これまでの長い、長い、自民党政権がとうとう終わりました。
    以前に連立政権にて政権が交代したことがありますが、その際とは異なり
    政権を取れる実力の持った党が政権を取ったことに意味があると考えます。

    これからまず大きく変わるのは、これまで自民党を支えていた政治献金が急激
    に少なくなるということです。
    族議員と言われる政治腐敗の温床が一旦リセットされて始まると言うことです。

    民主党に期待することは1つ。
    「日本の成長をどのように国として支援していくのか」
    このままの日本では人口、資源など国力に劣る点で没落の方向へ進んで行く
    ように思います。豊かと言われてはいるものの、周りを見回して、明るい将来
    を思い描いている人が極端に少ない。
    企業が不況⇒給料が上がらない⇒将来の希望がもてない
    この悪い流れをくいとめる政策を進めてもらいたい。

    現在の自民党のばらまきともいえる政策。
    例えば、政府の緊急支援。
    会社の内容を見ずにどんな会社をも支援する。
    すべて救ってどうするねん!
    税金を駄目な会社にばらまいてるだけやないか!
    きちっとした改善プランを提出するなり、その中に努力を必須条件にしないと
    意味が無い。

    テストの前に答えを配り、平均を90点にすることで出来ない生徒をなくすという、
    私の母校の中学校のアホな教育方法に似通った政策。

    そんなことしても景気は良くなりません。
    ただでさえ税金が足りないのにそのままばらまいてどうするねん。
    選択と集中ですよ。投資効率を考えないと・・・。

    政治には日ごろはあきらめがちの私も、いざ政権交代して自民党にざまーみろ
    って感じです。

    とりあえずは民主党に期待です。
    国民は心がわりが早いから気をつけてください。

  • モンゴルの子供たちを招いて大阪を紹介し、交流を深める事業「キッズサミット」が
    行われました。
    私の担当事業では有りませんが、堺で行われていたので、午前の相撲交流だけ
    参加してきました。モンゴルの小学生4名と大阪市の小学生4名の総当たり戦
    が行われ、見事大阪(日本)が勝ちました。
    特に写真にある大阪の優勝者の子はすでに大相撲に注目されている大物です。
    とてもじゃないが小学生には見えません。
    今大相撲はモンゴルに支配されている状況なので、がんばってもらいたいものです。

    キッズサミット

    キッズサミット

  • 私はこれまでメンバをほめたことはほとんどありませんでした。
    付き合いの長いメンバも、付き合いの短いメンバも、私をほめる人だとは思って
    いないと思います。
    自分でも、いつも怒っているように思います。
    今日も、昨日も、その前も・・・。

    しかし、最近の皆の頑張りには敬服してしまいます。
    会社によくもこんなにも集まってきたものです。わたしは恵まれています。

    みんなの体が悪くならないように、余裕のできるよう軌道にのせたいです。

  • 8月8日なにわ淀川花火大会がありました。
    私は大阪青年会議所で有料席の誘導にあたりました。
    淀川のスロープを花火直前に締め切ることにより、スロープに滞留するお客様を
    安全な場所に誘導するという役割を行いました。

    激しく多数の人が狭いエリアに集まることで、普段には無い人間の悪い所が見
    えてきます。
    席を奪い合う人、進入禁止エリアに無理やり入る人、川に飛び込もうとする人。
    しかし、花火が上がった瞬間ぴたっと動きが止まり、暑い夜空にはじける花火に
    見入ります。
    2年目ですが、あの光景を間近に見る時の体を走る震えは気持ちの良い物でした。

    翌日はあいにくの雨でしたが、数十万人といわれる観客が、心無く捨てた大量の
    ごみを拾い集めました。こういうことをしていると、いいことをしているという気持ち
    よりも、
    「あの時のポイ捨ても、これで帳消しになるかな?
    あの時の心無い行為も許されるかな?」
    という気持ちになるのも不思議なところです。
    なにはともあれ、予算の厳しい、「なにわ淀川花火大会」これからも大阪のすさむ
    空気を明るく吹き飛ばしてもらいたいものです。

    なにわ淀川花火大会

    なにわ淀川花火大会

  • 5月に南港のサントリーミュージアムにて、安藤忠雄建築展があり
    参加したことは、過去に記載しましたが、その際に購入した安藤忠雄
    の自伝がやっと読み終わりました。
    普段あまり仕事と関係の浅い本を読まない私としては勉強になる点が
    多々ありました。

    内容は、これまで手がけた建築物の紹介をもとに、建築企画、設計に
    携わる時の経緯、考えを綴っています。

    安藤さんの建築は、コンクリートの打ちっ放しという所に特徴があります。
    なぜコンクリートを選んだかということについては、何点かの理由がある
    ようですが、コンクリートはどこでも自由な形をつくることが出きる反面、
    素材感としては美しいものではないという常識があり、建築の表を表現するもの
    とは考えられていなかったようです。
    この点に対する可能性の挑戦という風に書かれています。
    そして、それぞれの建築に携わる時に、それぞれのテーマを実現する
    ことに対して、妥協せず取組むことを実践されている所に凄さを感じ
    させられ、また評価される点だと感じました。
    時には、機能性の問題、価格(コスト)の問題、立地条件の問題、問題
    を克服することで新しい物が生まれてくるという使命感のようなもの
    に感銘をうけました。

    色々な表現で自身の考えを書かれていますが、私の心に残る点として、
    1つの建築物を手がける場合、その周りの建造物、自然、環境はもと
    より、歴史、周辺住人の愛着までもを考える点にあります。

    西洋では比較的その点が一般的でありますが、日本でそれを実践する
    ことの難しさは想像するだけでも大変なことに思えます。
    安藤さんは自身達のことを
    「共通の理想をかかげ、信念と責務を持った個人が、我が身をとして
    生きる「ゲリラ」の集まり」
    と表現しています。その通りだと思い、自分の仕事をも再確認できま
    した。

  • 七夕のお願いを書いていたのですが、どなたかが、億万長者になり
    たいと書いていました。億万長者ってどのような人がそうなのか、
    定義が気になり、調べてみました。

    辞書で「億万長者」という言葉で
    調べてみると、億万長者とは「何億という財産を持つ金持。」と
    書いてあります。

    そのほかにも興味深いことがかかれてあったので、紹介します。

    果たして、何億という財産を持つことが必要でしょうか?
    私は、必要ないと思います。
    何億という財産を持ったところで、死んでしまえばおしまいです。

    財産なんて、自分が生活していける程度のものを
    持ち合わせていれば、それだけで十分でしょう。

    しかしながら、ほとんどの人は、自分の財産を持っておらず、
    働くことを辞めてしまうと、次の日から生活に困るという人が
    たくさんいます。

    ごくごく、わずかな人の中には、
    今日、働くことを辞めても、死ぬまで生活に困らないほどの
    財産をもっている人もいます。

    この両者の差は何でしょうか?

    ロバート・キヨサキ著書「金持ち父さん、貧乏父さん」で
    金持ちと中流以下の人間の大きな違いは
    贅沢品を買うタイミングだと述べてありました。

    中流以下 → まず、贅沢品を買おうとする
    金持ち  → 贅沢品を最後に買う

    つまり、金持ちは贅沢品を最後に買うのに対して、
    中流以下の人たちは真っ先に贅沢品を買おうとするのだそうです。

    確かにそうだと思いますね。

    中流以下の人たちが買うものといえば
    長い目で見て、価値が下がっていくものばかり
    購入しています。

    たとえば、車なんていうのは、それの典型だと思います。

    中流以下のひとは、無理して、借金してでも、高級な車を
    買おうとします。

    車なんて、1年も乗れば、価値は激減します。

    そのようなものを購入するから
    お金も財産も増えることがないのでしょうね。

    お金持ち、億万長者になるためには
    車のような価値が下がるものを買うのではなく
    価値が上がるようなものを購入する必要があるようです。

« Previous Entries   Next Entries »

Recent Comments

  • 昨今、日韓の溝は深まるばかりですね。 ...
  • マズローの欲求5段階説における 尊厳欲求は...
  • 平松市長と橋本知事の応戦は知っている人は...
  • ファストリさんは 店頭で募金を受付、280百...
  • こんなにも前から警鐘を鳴らし続けていたに...